2011年2月12日土曜日

タイ・カンボジア紛争Q&A 植民地政策の「負の遺産」いまも


 ヒンズー教寺院遺跡「プレアビヒア」と、その周辺をめぐるタイ、カンボジア両国の国境紛争は、現地での緊張と外交の駆け引きが続いている。国境紛争に根ざしているものは-。(シンガポール 青木伸行)

Qどういう寺院なの

A「プレアビヒア」はクメール語で「聖なる廟(びょう)」という意味。タイ語では「カオ・プラ・ビハーン」と言い、「山の聖なる廟」。寺院は、国境をなすダンレック山脈の断崖絶壁の上に建っている。

 寺院はカンボジアのアンコール王朝時代の9世紀から、約300年かけ建立された。しかし、15世紀にタイのアユタヤ王朝がアンコール王朝を攻略すると、寺院もタイのものに。

 19世紀になるとタイは、インドシナ植民地政策を進めカンボジアを保護領にしたフランスに、カンボジアの領土を割譲する。それで植民地化を逃れた。こうした歴史があり、寺院は「自分たちのものだ」という感情が、互いに強い。タイ人のカンボジア人に対する優越感や、蔑視の感情も潜在的にあるといわれる。

Q紛争の直接の起源は

A1904年に、フランスとタイが結んだ国境条約にある。フランスが国境の測量地図を作製し、寺院はカンボジア領に組み込まれた。ところが、30年後、タイは国境地域を独自に調査し、寺院は自国領内に含まれると言い出した。寺院だけでなく、周辺の4・6平方キロメートルが争いの対象だ。

Qインドシナ植民地政策の「負の遺産」だ

Aそう。カンボジアはその後、寺院は自国の領土とする国際司法裁判所の判断を勝ち取り、2008年には、世界遺産への登録を実現した。国際的な認知と既成事実化を進めたのだ。

 今回もカンボジアは、国連などの関与と仲裁を頼り、国際社会を巻き込もうとしている。一方、タイは2国間で事を収めたい。タイの方が国力が上だからだ。陸上兵力もタイ19万人に対し、カンボジアは7万5千人にすぎない。

Qタイ国内が騒がしい

A今回の交戦の端緒は、昨年12月に、保守派で「黄シャツ」と呼ばれる反タクシン派の「民主市民連合」(PAD)のメンバーなど7人が、紛争地域へ行き、カンボジア当局に不法入国で逮捕されたことだ。それで徐々に緊張が高まった。

 PADは、アピシット首相の対応は「弱腰だ」と辞任を求め、首相府周辺の道路を封鎖し反政府デモを展開している。これに対抗し、「赤シャツ」と呼ばれるタクシン元首相支持派の「反独裁民主統一戦線」(UDD)も気勢を上げ、13、19の両日に大規模な集会を予定している。双方の衝突が懸念され、政府は官庁街など7地区に治安維持法を適用した。

 国境紛争が、国内政治に飛び火したことは過去にもある。カンボジアが寺院の世界遺産登録を申請した際、支持したサマック政権(当時)のノッパドン外相を、PADと野党だった民主党が「売国行為だ」と攻撃し、辞任に追い込んだ。

 その民主党のアピシット首相は、今度はPADの攻撃にさらされ、総選挙も控え国境紛争では容易に引けない。国境紛争は政権の足元をも揺さぶりつつある。


産経新聞 2月11日(金)